2018年が半分終わりました
ブログに書き残した通り、去年は脱皮の一年だった。
すごく有意義な一年だった。
今年はそれよりさらに高まりたいという気持ちがありながら、進みたい方向が見つかってなかった。
私は焦ってた、見つけられなくて。
私には人に誇れるような特技も才能もない。
何か突出したものがあればそれを磨けば良いんだろうけど、いくら考えても私にはなくて
(憧れのミュージシャンとかスポーツ選手を見て才能って何だろう?って考えてみたりするけど分からない、少なくとも一言で表せるものではない)
だからこそ、とにかく何気ない日常の積み上げを大切に、ハイクオリティにしようと思った
誰よりもそれを丁寧にこなそうとした
例えば入部するとかサークル辞めるとかバイト変えるとか、そういう大きな環境の変化に頼るのではなく。代わり映えない普段の地味〜なひとつひとつのクオリティを底上げするいうか。
私には「私の価値観や性格からズレた行動を決して取りたくない」という価値観がすべての根底にある
きっと、少しずつ少しずつ自分を偽ることを重ねて知らない間に偽物が暴れてた18年間の反動もあるんだろうね、今が幸せでたまらないからこそその18年間(気づくまで時間かかりすぎだけど)も無駄じゃなかったと信じたい
大半の人間は、あるシーンで自分を少し偽ったとしてもその場限りで、別のシーンではリセットすることを自然に出来るのかもしれないって最近仮説をたてました🤔(実際どうなんかな?)
私の場合、自分に意識がいきすぎて、状況の記憶がバカになる代わりに偽物を蓄積してたのかなって。
話が逸れた気がするからこれから自分の価値観をいくつか晒してみる。
・誰かに好かれたい、よりもまずは自分が自分を好きでいたい
・他人からの評価より自分の意志に忠実でいたい
・スピードより正確さ重視、焦りたくない。まず綺麗な形を知ってからスピードを徐々に上げていければ良い
・(主に人やけど何にせよ、)嫌いなものは嫌いなままでもよい、しかしそれが原因で他人に害を与えるのを回避することにはきちんと責任を持ちたい。嫌いという負の感情にエネルギーを消耗したくないので、あまり気にならない距離まで自分から離れることで自分の身を守りたい。
・自分を大切にするのだから、自分を大切にしている他人のことも同じように大切にしたい
・他人のことを決して責めたくない。その人にはその人の価値観があり、大事にされるべきで、私の価値観と全くかけ離れていたとしても 無闇矢鱈に非難されていいものではない。
などなど
他にも細かく挙げていったらキリがないけれど
こういうのの他にも好きって思うこととかそれに従うという自分にとって価値を感じる行動指針を絶対に無視したくないのです。
そうして好きな自分をキープするために常に自分の心すべてでアンテナをはって毎日をこなすということが こんなに充実感と自分の心を震わせるものに敏感でいれる力を高めてくれると知った。
そして同時に圧倒的に足りないものを知った、
キャパシティである。容量である。
中途半端は嫌いで、タスクひとつひとつに丁寧に向き合いたいのに、どうしてもキャパオーバーしてしまう場面がある、例えばスケジュールを詰めすぎたりとか。
そんな日常を生きていて、最先端の情報が飛び交う専門的な勉強ができるという点で今自分がいかに素晴らしい環境にいるかということをやっと自覚しはじめた。あれこれ思考を巡らせ研究している先生はじめ先輩たちが、この環境を最大限に活かして、誰しもが持ってる訳ではない上に知的好奇心に対して素直でいることに憧れるし、ちょいと調べれば出てくる知識をがむしゃらに覚えることよりも、「使える」ということが力であると痛感している。
(この文章は2018年7月に書き残したものです。下書きにあってアップできてなかったので9月の今。)