はたち

私は、能動的に人を愛したい。自分とは異なる他人を、意味なく肯定したい。讃えたい。

そうすれば幸せになれる的な予感を放つ私のジンクス。

 

それで二十歳の私はある人への思いを、今までになく巨大なエネルギーを持って、優しい音楽とか、過去のまぶしい思い出や風景とか、周りの面白い人とか、美しい絵や写真とかいったこの世の素敵を凝縮したものと一緒に、お互いの好きなものを話して繋げて、大事に大事にあたためてしまった。

 

その時には気づいていなかったんだけども、その裏で私は、期待という黒い塊を無意識のうちに愛と同じレベルで育ててしまっていたらしい。

そいつはあとになって、ものすごい圧力と重力を携えて、私の体を押しつぶしている。

なんたって心臓やら肺やら、おもに上半身のあれこれが物理的に痛い。

そしてその塊は、どれだけ多くの涙をもってしても溶けない。

恐らく塊を縮められるのは時間だけで、人間の操れる範囲内の物事ではないのだろうと、そんな事実を三ヶ月ほど経ってようやく事実として飲み込んでいる。

 

だけど、塊を、見て見ぬ振りなら、できる、と自分にできる範囲のことをしようと頑張ると、その順路で愛なんてものに関わって、またスタートに引き戻される。

その繰り返しは、乾いた水彩絵の具の上に、何度も何度も湿った筆を重ねるように。

私の心には、色濃く二十歳の一年間が刻まれる。

 

将来、この濃ゆい心の染みが、何か私の手助けになってくれるといいな。

死ぬ間際にぼんやり浮かぶのが、視界だけでなく心の隅々まで晴れ渡った景色の中に、ほんの指先ほどの小ささでいいから、この染みが綺麗に映えていますように。

これは、夢見心地な、エスケーピズムなお話。

 

もっとリアルにクローズアップすると、

何年後かにまた、ゆっくり話したい。

お互いさっぱりと一連の記憶を仕舞った状態で。

恋愛うんぬんの前に、人間として好きだったから、こんなぐちゃぐちゃな関係のまま死にたくない。

その時、私がなににだれに愛を注いでいるかは分からないけど

二十歳って、ようやく自分のことが理解できてきて、好き嫌いに自信が持ててきた時期で。

そんな感受性が爆発している時に、今まで出会った人の中で、世界で一番素敵な人だと、何度も何度も泣けるほど、強く思えた人だから。

 

だからこそ、思いやりと手間と時間を丹念に掛けては、それらが同じように返ってきたことがあんなに嬉しかったんだ。

この嬉しさってのは今でも私の目を潤ませる!

 

生きている限りいつかまた前みたいに話せるはずっていうちっぽけな希望だけが光ってる暗闇で、他に光はないって痛いほど分かっていて、別に広くもなく、ちょっとだけ意識をずらせば幾らでも違う空間に行けるとも分かっていて。それでもこの暗闇にとどまらせるのはこの人の"人の良さ"なんだろうな。これ以上期待させちゃいけない、傷つけまいとの振る舞いを目の前にした私が私をここに縛り付けている。だから私はそこまで不幸でもないのかもしれない。

 

暗闇にいるからといって不幸だと決めるのは短絡的すぎるよね。涙が出るのは不幸だからじゃなく、理解を超えたこの出来事の凄みに圧倒されているからなんだと思う。

明るい暗い、広い狭いといった形ではなく、幸せ不幸せという感じかたを、中身を、自身に問いながら生きていたいなあと