自転車と眼鏡

おやつの時間を過ぎた頃、電車は到着した。

地元の友達にオススメの小説を教えてもらったから、はやく読みたい気持ちで意気揚々と図書館へ向かう。

いつもより人通りが少ないとは思っていた。

図書館が近づく。

普段はほぼ満たされている駐輪場に、自転車がほとんどない。

看板にでかでかと「本日は休館日」の文字。

息をひそめる、静かな大きな建物。

すっかり落胆した私は、すこしでも気分を上げようと、赤くなりかけている紅葉を愛でながら川沿いを走って帰ることにした。

後楽園、県立美術館、カジュアルフレンチのレストラン、セブンイレブンうどん屋さん。

彼と二人で来たことのある場所を通る。

そのたび、彼の表情が、彼の話したことが、頭をよぎる。

振られてから、この時間が嘘だったみたいに思えている。

こうやって小説を読み漁ったり、美術館に通い詰めたり、文化的な活動に夢中になっているのは、私はきっと、この世には、彼以外にも魅力的な世界が広がっていることを確かめたいんだろう。

彼の存在があまりにも大き過ぎたから。

彼の世界はきらきらしていて、まぶしかった。

あまりにまぶしくて息が詰まった。

それが痛くて、心地よくて、生きてる実感が湧いていた。

彼のおかげで私は山ほど泣いた。

そして今も、いつのまにか目には水が溜まっている。

この水はいつかは必ず枯れる。

分かっている。

だからこの水を愛おしく思ったりもする。

彼は過去の人になってゆくのだ。

今まさになってゆくところなのだ。

ーそんなことをぼんやり考えながら自転車を走らせる。

この日、私は電車で眠るためにコンタクトレンズをつけず、眼鏡をかけていた。

しかし知り合いとすれ違いそうな大きな道に入ってから、他人の顔を認識したくなくて、眼鏡を外した。

人も車も交通量が多く、あまり見えないことで多少の危険を感じる道ではあったが、それよりも、顔見知りを認識して気まずさを感じたり、あるいはこんな心情で親しい人と顔を合わせることの方が嫌だった。

さっきまで楽しんでいた紅葉はこの道にはない。

はやく家に着きたい、その思いだけで自転車をこぐ。

大学の一般教育棟の角を勢いよく曲がる。

わずか0.5秒にも満たない刹那の画が脳裏に焼きつく。

間違いなく彼だった。

黒地にゴールドのラインが入ったミズノのジャンパー。

無駄な肉がついていない、シュッとした顎。

控えめだけどきりっとした眉毛に、すらっとした鼻筋に、薄い唇。

ジュースか何かを手にして、一重の小ぶりな眼で、それを見つめていた。

10mほど離れた場所を自転車で通り過ぎた上に、視線はジュースのラベルに注がれていたので、彼は私に気づかなかっただろう。

私の脳はその画像を瞬間で処理したが、心は追いつかず、しばらく放心した。

そしてもう一度その画像を頭の中に浮かべた瞬間、目から水がこぼれ落ちた。

彼は「過去の人」ではない。

今を生きている人なのだ。

彼には彼の生の時間がある。

私の中で勝手に殺しちゃいけないな。

人の顔を認識しないために眼鏡を外したのに、彼の顔だけを認識してしまうなんて皮肉、だけど、流石だな自分。

なんとなく嬉しいような、楽しいような、奇妙な初めての感覚に取り憑かれて、ぼんやりとした視界が気持ち悪い。

赤信号がもうすぐ終わりそうだ。

私は、眼鏡をかけてから、自転車のペダルを踏む。

SUMMER OF LOVE

 

Yogee 2018.04.08

 

Yogee / SE SO NEON まとめ

 

三浦しをん 愛なき世界

 

「愛という概念なき植物のことを愛している」本村と、

狂おしいほどの情熱に取り憑かれている。本村がどれだけ長生きしても、植物の謎がすべて明らかにしてなることは決してないとわかっているのに、ほのかに光る細胞を見つめつづけてしまう。

たとえ失敗に終わったからといって、全力で愛した記憶も気持ちも消えることはないはずだ。自分に備わった情熱と愛のすべてをかけて、植物の研究に恋をしているから、それがいまにも終わりそうなことが、こんなにも苦しくてつらくてならないんだ。

 

「植物へ注がれる愛が自分に向けられることはないと分かっていながら、植物のことも本村のことも理解したいと強く思い、また理解が深まるにつれて愛おしいと感じる気持ちも増す」藤丸…😭

しつこくして本村を困らせるつもりはないし、叶わなかった恋心を早く埋葬してしまいたい気持ちは藤丸にだってあるので、本来ならば松田研究室への宅配は、適当な理由をつけて断るべきなのかもしれない。でも、「知りたい」という思いがやみがたく胸のうちにある。

理解は愛と比例しない。相手を知れば知るほど、愛が冷めるということだってあるだろう。藤丸の本村への思いは、それとは逆だった。理解が深まるにつれ、愛おしいと感じる気持ちも増していった。

「その情熱を、知りたい気持ちを、『愛』って言うんじゃないんすか?植物のことを知りたいと願う本村さんも、この教室にいるひとたちから知りたいと願われてる植物も、みんなおんなじだ。同じように、愛ある世界を生きてる。俺はそう思ったっすけど、ちがうっすか?」

 

双方、なんて純粋で瑞々しい愛なんだ。。

二人の関係は恋愛に発展することはないけれど、それが愛の総てではないって、読んだ人には伝わるはず。

 

目の前で恋人いらない宣言された上にそんな風に思ったことはなかったと振られた直後の私にピッタリすぎる、愛とは何かを再度深く考えさせられるお話でした。

あと、植物の研究に没頭する様子も丁寧に紡がれてて、院に進学したい気持ちが膨らんだ…

綺麗な装丁に惹かれたプラス三浦しをんの文章が好きだから手に取ったわけで、こんなに自分を重ねられる小説とは思わなんだ!

 

大学三年の夏休みを特別な一冊で締めくくれた。
素敵な秋に、冬に、なる気がする🍂⛄️

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2018年が半分終わりました

ブログに書き残した通り、‪去年は脱皮の一年だった。

すごく有意義な一年だった。

今年はそれよりさらに高まりたいという気持ちがありながら、進みたい方向が見つかってなかった。‬


私は‪焦ってた、見つけられなくて。

私には人に誇れるような特技も才能もない。

何か突出したものがあればそれを磨けば良いんだろうけど、いくら考えても私にはなくて

(憧れのミュージシャンとかスポーツ選手を見て才能って何だろう?って考えてみたりするけど分からない、少なくとも一言で表せるものではない)

 

だからこそ、とにかく何気ない日常の積み上げを大切に、ハイクオリティにしようと思った

誰よりもそれを丁寧にこなそうとした

例えば入部するとかサークル辞めるとかバイト変えるとか、そういう大きな環境の変化に頼るのではなく。代わり映えない普段の地味〜なひとつひとつのクオリティを底上げするいうか。

 

 

私には「私の価値観や性格からズレた行動を決して取りたくない」という価値観がすべての根底にある

きっと、少しずつ少しずつ自分を偽ることを重ねて知らない間に偽物が暴れてた18年間の反動もあるんだろうね、今が幸せでたまらないからこそその18年間(気づくまで時間かかりすぎだけど)も無駄じゃなかったと信じたい

大半の人間は、あるシーンで自分を少し偽ったとしてもその場限りで、別のシーンではリセットすることを自然に出来るのかもしれないって最近仮説をたてました🤔(実際どうなんかな?)

私の場合、自分に意識がいきすぎて、状況の記憶がバカになる代わりに偽物を蓄積してたのかなって。

話が逸れた気がするからこれから自分の価値観をいくつか晒してみる。

 

・誰かに好かれたい、よりもまずは自分が自分を好きでいたい

・他人からの評価より自分の意志に忠実でいたい

・スピードより正確さ重視、焦りたくない。まず綺麗な形を知ってからスピードを徐々に上げていければ良い

・苦しいことはしたくないし楽しいことをしたい

・自分の世界を他人に乱されたくない

・(主に人やけど何にせよ、)嫌いなものは嫌いなままでもよい、しかしそれが原因で他人に害を与えるのを回避することにはきちんと責任を持ちたい。嫌いという負の感情にエネルギーを消耗したくないので、あまり気にならない距離まで自分から離れることで自分の身を守りたい。

・自分を大切にするのだから、自分を大切にしている他人のことも同じように大切にしたい

・他人のことを決して責めたくない。その人にはその人の価値観があり、大事にされるべきで、私の価値観と全くかけ離れていたとしても 無闇矢鱈に非難されていいものではない。

・自分を「〜しなければならない」と縛りたくない

などなど

他にも細かく挙げていったらキリがないけれど

こういうのの他にも好きって思うこととかそれに従うという自分にとって価値を感じる行動指針を絶対に無視したくないのです。

 

そうして好きな自分をキープするために常に自分の心すべてでアンテナをはって毎日をこなすということが こんなに充実感と自分の心を震わせるものに敏感でいれる力を高めてくれると知った。

 

そして同時に圧倒的に足りないものを知った、

キャパシティである。容量である。

中途半端は嫌いで、タスクひとつひとつに丁寧に向き合いたいのに、どうしてもキャパオーバーしてしまう場面がある、例えばスケジュールを詰めすぎたりとか。

 

 

そんな日常を生きていて、最先端の情報が飛び交う専門的な勉強ができるという点で今自分がいかに素晴らしい環境にいるかということをやっと自覚しはじめた。あれこれ思考を巡らせ研究している先生はじめ先輩たちが、この環境を最大限に活かして、誰しもが持ってる訳ではない上に知的好奇心に対して素直でいることに憧れるし、ちょいと調べれば出てくる知識をがむしゃらに覚えることよりも、「使える」ということが力であると痛感している。

 

 

 

(この文章は2018年7月に書き残したものです。下書きにあってアップできてなかったので9月の今。)

無頓着という最強の性質

おばあちゃんちに行った。

洗濯したよー、と三姉妹の目の前に下着が並べられる。

見覚えのあるパンツがあった。私のブラジャーとセットの高校時代お気に入りだった私のパンツ。実家で行方不明になっていた私のパンツ。

今は姉が使っているのだという。

いや、これ、シンプルに窃盗ですよね?

 

なぜ「あったから」という理由で平気で他人のパンツを履けるのか私には分からないし、今や姉のものになっているわけで、今更返して欲しいとは思えない。

でも「それ私のだったんだけど」と伝えて「へー」で終わらせられるのにはどうしても納得がいかない。

私だったら、知らなかったとして、申し訳なくて仕方なくて、その代わりに新しいパンツを買ってあげなければ気が済まないから、不公平を感じてしまうんだが。

感覚が違うのは仕方ないとしてもどうしてこうも私だけが不愉快にならなければならないのか?

だいたい姉は身の回りの物にこだわりもセンスも愛着もないくせに、私がこだわりを持って選んだパンツを平気な顔して履くな。気持ち悪ぃ。

 

過去に靴下でも靴でも同じことがあった。

その時も同じように「ふーん」で片付けられたし覚えてないんだろうけど、私は未だに覚えてるからなクソ野郎。

 

でも、そんな借りぐらしのヤツはモノ選びの楽しさっつーのを知らないんだよな。仕方ない。許してやろう。と言葉にはおこせるけれど、心底思えるほど私は大人じゃないのだ。

こうして文章を書いて心を落ち着かせた。

ただそれだけの記事です。